Shina bukkyō shikō 支那佛教史綱 (1907)
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Shina bukkyō shikō 支那佛教史綱 (Outline History of Buddhism in China) was published in Tokyo 東京 in 1907 and written by Sakaino Satoru 境野哲. It was later edited and translated into Chinese by Jiǎng Wéiqiáo 蔣維喬 and published in Shànghǎi 上海 in 1929.
Contents |
第一章 佛教東傳の期 | Chapter One: The Era of Buddhism's Transmission to the East |
第二章 佛教傳譯の初期 | Chapter Two: The Early Period of Translating Buddhism's Transmission |
第三章 四大翻譯 | Chapter Three: Four Major Translators |
第四章 南地佛教の中心 | Chapter Four: The Center of Buddhism in the South |
第五章 佛教の弘傳と道教 | Chapter Five: Daoism and the Spread of Buddhism |
第六章 隋唐以前の二大系統 (一) | Chapter Six: The Two Great pre-Suí-Táng Systems (1) |
第七章 隋唐以前の二大系統 (二) | Chapter Seven: The Two Great pre-Suí-Táng Systems (2) |
第八章 禪の由來 | Chapter Eight: The Origin of Chán/Zen |
第九章 極樂往生と兜率往生 | Chapter Nine: Rebirth in Sukhāvatī and Rebirth in Tuṣita |
第十章 天台宗の起原其の開創 | Chapter Ten: The Establishment and Origins of Tiāntái/Tendai |
第十一章 嘉祥の三論宗 | Chapter Eleven: The Sānlún School of Jiāxiáng[1] |
第十二章 會昌以前の佛教概說 | Chapter Twelve: General Outline of Buddhism before the Huìchāng Suppression |
第十三章 唐の諸宗 | Chapter Thirteen: The Schools of the Táng |
(一) 念佛宗 | (1) The School of Mindfulness of the Buddha |
(二) 法相宗及び華嚴宗 | (2) The Fǎxiàng/Hosso and Huáyán/Kegon Schools |
(三) 律宗 | (3) The Vinaya School |
(四) 禪宗 | (4) The Chán/Zen School |
(五) 密宗 | (5) The Esoteric School |
第十四章 華天の再興唐武周世の破佛 | Chapter Fourteen: The Revival of Huáyán/Kegon and Tiāntái/Tendai, the Suppression of Buddhism by the Wǔ Zhōu Kingdom |
第十五章 宋以後の佛教 | Chapter Fifteen: Buddhism in the Sòng and Afterward |
(一) 概說 | (1) General Outline |
(二) 天台宗山家山外の爭戒律宗の再興 | (2) The Conflict between the "on the mountain" and "off the mountain" Branches of Tiāntái/Tendai, the Revival of the Vinaya School |
(三) 元以後の喇嘛教 | (3) Lamaism in the Yuán and Afterward |
(四) 禪宗 | (4) The Chán/Zen School |
(五) 諸宗融合の傾向 | (5) The Trend Toward Syncretism of the Schools |
Note: This is a draft transcription and may contain errors. It also uses the traditional Sino-Japanese characters from the original text.
今日の著述家が自己の新著の社會より好評を傳せんと欲よるには、先づ其の卷頭に於て、著者自身の筆により、其の價值を說き立て置かんこと、最も必要なり。無論著述を世に公にせんと欲すろものは、初めより這般の自負心あるべき筈のものならん。然れとも。余は從來未だ自ら斯くまでの自負心と滿足とを以て、自己の著述を世に發表し得たることあらず、今本書に於てち亦實に□[2]の感深し。
但し現今にありては、支那佛教史の研究は、比較的困難なり。蓋し在來組織的の支那佛教史と稱すべきもの皆無なるがため、最も複雜なる史上の事實と、教理の發達とを按徘して、之に順序を與ふろことの。余葷の如さ歷史に通せぎろものに取りては、殆んと暗中に物を探るの感なきを得ざればなり。これ余が本書の不完全を世の學者に訴へて、其の是正を仰がんとするの念切なる所以なり。
元來、余は前著『印度佛教史綱』に對し、之と雙卷れらしめんがれめ、書肆の需めによりて本書に筆を染めれりしも、既に兩三章を草し終るに、及び、當今學者の支那佛教史を要求するも、の潮く多からんとするの傾向あり、而して從來之に應ずべき書の絕無なることを思ふに至り、終に豫期よりも多少詳細なるものを出すの、或は學界に利益あらんことを見乃ち中途稿を改めて以て本書を成すに至りしなり。
既にこれまで範を取ろべき先覺の典籍なし、隨ひて研究の結果、史上の事實、或は漠然傳說し來りし所と齟齬し、或は頗る疑を存すべきもの尠からざすを發見することあり、斯くの如きは、時に獨斷に過ぎ、大膽の笑を免れざるものあるべしと雖、敢て自ら余が所見を記述することを避けず、これ誠みに、揭げて以て世の學者の叱正を受けんことを希望するが為めなり。
余が本書を出版せんことを公言せしは、既に昨年にあり。而して遷延今日に及びしは。實に余が俗務繁劇にして、か丶[3]る事業に力を致すの閑甚だ多からざろによる、余が現時の多忙なら生活を察知せらる丶[4]讀書は、余がために深く其の違約の罪を詰責せられざることを墾望す。
本書の書名につきて、或は單に支那佛教史と命することの、世間向きに宜しきことを告くるものなきにあらざりしも、余が此の小著は、單に支那佛教史研究の最初に着手せられたるもの丶[5]一として。少かの名譽を負ふべきものにして、未だ支那佛教史と稱する、大なる名稱に副ふの價值あるものにあらず。其の眞の支那佛教史の完成の如きは、之を後賢に囑望せざるを得ざる也。